四諦八正道とは?四諦と八正道それぞれの意味をわかりやすく解説

    「四諦八正道(したいはっしょうどう)」とは、釈迦が亡くなる前に弟子たちに向かって「くれぐれも忘れてはだめだ」と念を押された仏法の最重要ポイントです。

    仏教には膨大な種類の経典があり、その総数は3,000とも5,048とも84,000ともいわれていますが、いずれの内容もこの「四諦八正道」の教えが礎となっています。

    「四諦八正道」は、「四諦」と「八正道」が組み合わさってできた言葉。本来は別々の概念ですが、その結びつきは非常に密接です。

    この記事では、仏教を知るうえで必ず押さえておかなくてはならないキーワードである「四諦」「八正道」とは一体どのようなものか、それぞれ詳しくわかりやすく解説していきます。

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    四諦とは

    「四諦」は「したい」と読みます。「諦」とは「真理」のことで、直訳すれば「4つの真理」という意味になります。

    そもそも釈迦が王族の身分を捨ててまで出家を果たしたのは、病や老い、死といった人生の苦しみからどうすれば解放されるのか、その方法を知りたいと思ったからでした。

    難行苦行の厳しい修行を経た後、たどり着いた真理が「人生の本質は苦しみである」ということ。なぜなら苦しみの原因を人間自身が作ってしまっているからであって、その原因さえ取り除けば苦しみから解放される。

    そして解放されるためには、やるべき一連のプロセスがあり、そのポイントとなるのが「苦しみ」「原因」「解放」「やるべきこと」の4つ。

    これがすなわち「苦諦」「集諦」「滅諦」「道諦」であり、「四諦」と総称される4つの真理なのです。

    四諦の意味

    苦諦(くたい)

    「苦諦」とは、この世に生きるということは苦しみを抱えて生きるということ、つまり苦が前提で成り立っているのが私たちの世界だという真理です。

    苦諦の内容は、具体的に「四苦八苦」という言葉で表されます。すなわち四苦とは、誰もが避けることのできない「生・老・病・死」の苦しみ。

    これに、求めても得られない「求不得苦(ぐふとっく)」、憎しみ怨みを抱く「怨憎会苦(おんぞうえく)」、愛するものと別れる「愛別離苦(あいべつりく)」、病気などに抗えない「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」の4つを合わせて八苦とします。

    この苦しみからいくら逃れようとしてもそれは一時しのぎの気休めであり、この世が苦であることを正面から受け止めなければならないと教えたのがこの苦諦なのです。

    集諦(じったい)

    では、なぜこの世が苦しみに満ちているのかを解き明かしたのが「集諦」という真理です。「集」とは「苦を招く心」のこと。苦しみの原因を追究した結果、得られた心の真実といって良いかもしれません。

    苦しみをもたらす心とは何か。

    それは欲望、嫉妬、怒り、後悔といった種々の煩悩であり、際限のない自己への執着心なのです。このとらわれた心こそが、苦しみを招く最大の原因であることを直視せよというのが集諦の教えです。

    滅諦(めったい)

    集諦によって、苦しみの原因が過度の自己執着、際限ない欲望の肥大からくるものであることがわかりました。

    そうであれば、その貪欲な心を消し去ることで人の苦しみはなくなるはずで、そのようにしてこそ初めて心の安らぎを得られるという真実に導かれます。

    これを「滅諦」といいます。

    釈迦が求め続けた理想の境地は、まさにこれであるといって良いでしょう。

    道諦(どうたい)

    滅諦に至るためには、心の持ちようを変えなくてはなりません。心の在り方が同じでは、いつまでも集諦の中にとらわれたままだからです。

    では、どうすれば滅諦の境地に至ることができるのでしょうか。苦しみをもたらす原因が煩悩にあるのであれば、厳しい修行に身をさらして煩悩を消し去れば良いのでしょうか。

    「そうではない」と釈迦は教えています。

    煩悩を取り除くことは必要。しかしその手段として厳しい修行を重視しすぎると、そのようなやり方が焦りや執着心を生み、かえって悟りの境地に至るのを妨げてしまうのだと諭しているのです。

    だから、滅諦に至るには正しい方法で行わなければならない。それが「道諦」という真理であり、煩悩から脱却するための方法を具体的に教えたのが、次に説明する「八正道」だということになります。

    八正道とは

    釈迦は、この世とはそもそも苦しいものであり(苦諦)、苦しみをもたらす根源が煩悩にあることを見抜きました(集諦)。

    そして、煩悩を消し去れば悟りの境地を得られ(滅諦)、そこに至るための正しい行いをする必要があることを教えたのでした(道諦)。

    その正しい行いを具体的に示したものこそが「八正道(はっしょうどう)」で、その名の通り日々取り組むべき8つの指針が解説されています。

    八正道の意味

    ①正見(しょうけん)

    正見は、正しく対象を見るということ。

    煩悩にとらわれず、同時に煩悩にとらわれまいとせず、その中間にある真実に気づくように現象をとらえることを求めています。

    正見は、八正道の起点であり、終点でもあるすべての正しい行いの基本です。

    ②正思惟(しょうしゆい)

    正思惟は、正しく考えるということ。

    煩悩にとらわれない考え方をするという意味であり、苦しみの根源とされる三毒、すなわち欲望「貪(とん)」、怒り「瞋(じん)」、道理をわきまえない無知「痴(ち)」に犯されていないか、常に自己を顧みることが必要です。

    ③正語(しょうご)

    正語は、正しく話すということ。

    煩悩があると、よこしまな心が言葉に変わって口から出ます。

    これが「口の四悪(しあく)」というもので、嘘やお世辞の「妄語(もうご)」「綺語(きご)」、二枚舌や悪口の「「両舌(りょうぜつ)」「悪口(あっこう)」がそれにあたります。

    そんな言葉が出ないように口を慎めということです。

    ④正業(しょうごう)

    正業は、正しく行うということ。

    煩悩があると、よこしまな心が行動に現れます。

    特にとらわれやすいのが「身の三悪」という行いで、他の生き物を殺す「殺生(せっしょう)」、他人の物を盗む「偸盗(ちゅうとう)」、人の道に外れた色欲「邪淫(じゃいん)」は常に身を顧みて、厳に慎むべきと戒めているのです。

    ⑤正命(しょうみょう)

    正命は、正しく暮らすということ。正しく生活する、といって良いかもしれません。

    煩悩が生じて欲望が肥大化すると、自分のことばかり考えて私利私欲に走ったり、他の人を傷つけることに鈍感になってしまったりします。

    人付き合いや日々の生業に、そのような兆候が表れていないか気をつけながら暮らすことを教えています。

    ⑥正精進(しょうしょうじん)

    正精進は、正しく努力していくこと。

    精進とは、精神を集中して雑念を払い、決めたことに向かって怠りなく努力することを言います。

    滅諦に至るのは、決して簡単な道のりではありません。常に煩悩の誘惑にさらされ続けているといって良いでしょう。

    その迷いを断ち切って、常に正しく励み続けよというのがこの教えなのです。

    ⑦正念(しょうねん)

    正念は、正しく念じるということ。

    念じるという言葉は、「思う」と言い換えても良いでしょう。

    正精進の行動を支える精神的支柱で、煩悩を離れ常に真理を求めようという決意を心に保持しておくように、という教えをさしています。

    ⑧正定(しょうじょう)

    正定は、正しく安定させるということです。

    八正道の行いを、一つのまとまりとして定着させるということです。八正道を一つの大きな円の中に過不足なくまとめる行いといって良いかもしれません。

    瞑想によって心の安定を得る座禅などが、その具体的な行為になります。

    「八正道」の「正」に込められた意味とは?

    八正道の内容を一つひとつ確認してきた後で、今さらもとに戻るようですが、そもそも「正しい」とはどういう意味なのでしょうか。

    実は、善悪という意味の「正」や正義の「正」の意味でこの内容をとらえると、全体が少し理解しにくくなります。

    「正しい」とは、「真理にそって調和した状態と理解すると分かりやすいでしょう。

    たとえば、真理を得ようと極端に厳しい苦行を重ねても、それは誠実な行いかもしれませんが「正」とはいえません。

    苦行をしても人生の苦しみからは逃れられないのは、苦行をしている自分に執着してしまっているからです。そのことを身をもって体験したのが、ほかならぬ釈迦その人でした。

    四諦八正道の起源

    ここでは、四諦八正道という言葉がどのようにして生まれたのか、また仏教におけるこの教えの位置付けなどを解説します。

    四諦八正道はお釈迦様が初めて説いた教え

     インド・ブッダガヤの菩提樹

    裕福な王子という身分を捨てて出家した釈迦は、各地を巡礼しながらさまざまな聖人に教えを乞い、人生の苦しみから逃れる方法を模索したものの、どの教えにも満足することはできませんでした。

    そこで自らその答えを見つけようと、菜食や断食、呼吸を止める難行、いばらの上で眠る苦行などあらゆる過酷な試練を試み続けましたが、苦しみが去ることはついにありませんでした。

    苦行に意味がないと知った釈迦は、その修行方法を瞑想に変更します。そして35歳のとき、ブッダガヤの菩提樹の木の下でついに悟りを開いたのでした。

    釈迦はその悟りの内容を、苦行をともにした5人の修行仲間に伝えようと、彼らのいる「鹿野苑(ろくやおん)」まで歩きます。

    その距離約250キロ。

    そこで釈迦が初めて行った説法が、この四諦八正道すなわち釈迦を開眼させた真理の仏法だったのです。

    仏教における四諦八正道の位置付け

    出典:Wikipedia(Tango7174, CC 表示-継承 4.0

    釈迦が鹿野苑で行った初めてこの説法は、「初転法輪(しょてんぽうりん)」といわれます。転は輪が回ること、法輪は円形の武器のこと。

    真理が遠くまで届き無知蒙昧を打ち破るという意味で、後に仏の説法のことを言うようになりました。

    5人の修行者は当初、釈迦がやってくる姿を見ても無視していたといいます。それは、釈迦が苦行を途中で投げ出した脱落者だと思ったからで、説法を始めてしばらくの間、聞いていたのは鹿だけでした。

    そこで釈迦がまず話し始めたのは、「中道」の思想です。修行者が取り得る二つの道、安楽と苦行はどちらも悟りへ通じる道ではないその間の道、中道こそが真理に至らせる唯一のルートなのだ、というのがその内容でした。

    では、中道とは何か。

    その仕組みを説明したのが四諦であり、真理に至る方法を教えたのが八正道であると続きます。

    5人の修行者は説法の内容に圧倒されて深く感じ入り、すぐさま弟子となりました。

    それ以来、四諦八正道は、仏教の教えの根本理念として、また宗派を超えたあらゆる教義の礎として位置付けられているのです。

    「四諦」と「十二縁起」の関係

    十二縁起とは?

    釈迦の教えを理解するうえで、四諦八正道と同じくらい重要なキーワードがあります。

    それが仏教の根本原理といわれる「因果の道理」です。

    「雨が降って川の水が増えた」「転んで足を擦りむいた」。ありふれた日常の光景ですね。

    ただよく見ると、これらはすべて原因と結果の関係になっています。川の水が増えたのは雨が原因、足を擦りむいたのは転んだことが原因です。

    このように、世の中のことは何一つ例外なくすべて因果関係によって成り立っていて、そこに不変の法則がある、と考えるのが仏教の立場です。

    釈迦はこの法則に基づいて、人間の苦しみを生み出す原因の検証を行おうとしました。そしてたどり着いた12の要素が、次にあげる「十二縁起」といわれるものです。

    十二縁起、それぞれの内容とは?

    十二縁起それぞれの具体的な内容は以下のようになります。

    十二縁起とは
    • 無明(むみょう)」とは、無知の心、全く知識のない段階。
    • 行(ぎょう)」とは、行為、行いのことです。無知は無軌道な行いの原因。
    • 識(しき)」とは、認識すること。無軌道な行為は繰り返し学習することでぼんやりした気づきに変わる。
    • 名色(みょうしき)」とは、心と身体のこと。ぼんやりした気づきはやがて、「名」が気持ちを生じさせる心に、「色」が形を持ち始める身体に分かれる。
    • 六入(ろくにゅう)」とは、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚と意識全般のことで、心と身体が相互に感受した統一感覚として生まれる。
    • 触(そく)」とは、六入によって生じた統一感覚に判断が与えられる状態にあること。たとえば「熱いから触れない」といった判断ができる状態。
    • 受(じゅ)」とは、「触」の判断によって生じる感情。「熱いものは嫌い」という感情がその例。
    • 愛(あい)」とは、「受」の感情がエスカレートすることによるとらわれの気持ち。
    • 取(しゅ)」とは、「愛」が一段と度を越してとらわれた気持ち、すなわち執着の状態をいう。
    • 有(う)」とは、「取」の状態によって完成してしまった人間の生のありさまをいう。ここに至って自他は厳格に区別され、自分と他人という関係性の中で各種の煩悩に悩むことになる。
    • 生(しょう)」とは、「有」が常態化してしまった有様。
    • 老死(ろうし)」とは、「生」を経て現世で人がたどる最終的な局面。

    このように、「無明」から「老死」まで、12の要素すべてが前後の局面の原因であり理由になっているということがわかると思います。

    そしてこの12フェーズを、人の誕生から死までといった身体面でとらえたものを「外縁起」、人の心の様相の移り変わりといった精神面でとらえたものを「内縁起」として区別しています。

    十二縁起の「順観」と「逆観」とは

    釈迦は最初、「無明」が原因となって「行」が生まれる、「行」が原因となって「識」が生まれる…と順に因果を確認していき、最後に「老死」に至るという関係性を見出しました。この観察方法を「順観」といいます。

    次に、「無明」がなくなれば「行」は生まれない、「行」がなくなれば「識」は生まれない…と一つひとつ消滅のプロセスを検証していきました。この観察方法を「逆観」といいます。

    順観と逆観というこの2つの観察を行うことで、釈迦は苦しみを生む煩悩の原因が「無明」にあることを悟ったとされます。

    四諦と十二縁起の関係

    四諦のうち、道諦の具体的な実践法が八正道であることはすでに述べました。

    では、十二縁起の位置付けはというと、それは四諦のうち「集諦」という真理を成立させている根本原理を示したもの、ということになります。

    人はなぜ煩悩を生じさせてしまうのか、その原因を究明して得られた悟りを理論的に裏付けているのが、まさにこの十二縁起だというわけなのです。

    「八正道」と「六波羅蜜」の違い

    六波羅蜜とは?

    「六波羅蜜(ろくはらみつ)」とは、現世で菩薩になることを志す仏道修行者が指針とするべき基本的な6つの実践徳目のことです。

    「波羅蜜」とは、悟りによって開かれた真理の世界に至ること。

    その方法が6つあるということを示したのが六波羅蜜という言葉で、具体的な内容は以下のようになります。

    六波羅蜜とは
    • 布施(ふせ)…貪欲の気持ちを抑え、他人に施しを与えるということ。
    • 持戒(じかい)…悪業の気持ちを抑え、戒律を守るということ。
    • 忍辱(にんにく)…怒りの気持ちを抑え、試練に耐えるということ。
    • 精進(しょうじん)…怠け心を抑え、修行に励むということ。
    • 禅定(ぜんじょう)…乱れた心を整え、精神を統一して真理の境地に至るということ。
    • 智慧(ちえ)…煩悩の心を抑え、仏法の真理を見究めるということ。

    この6つの徳目が、それぞれ完全なかたちで実践しきれた状態を「波羅蜜」というのです

    八正道と六波羅蜜の違い

    八正道とは、人生に苦しみをもたらす煩悩をいかに消し去り悟りの境地に至るのか、その考え方の指針を示した教えです。

    仏法の根幹を成す基本理念として、最上位に位置付けられます。

    一方で六波羅蜜は、その基本理念の実現方法を具体的な行動で示している点でより実践的であるという点に特徴があります。

    理念的な八正道と実践的な六波羅蜜

    両者の違いは、実は八正道と六波羅蜜をそれぞれ修行の柱としている「宗派の違い」であるともいえるのです。釈迦の没後、仏教は複数の宗派に分かれました。

    その一つが上座部仏教で、個人の解脱を目的として八正道を修行の柱に定めています。

    もう一つは大乗仏教で、一人ではなくすべての人が救済されることを目的として六波羅蜜に重点を置いた修行に努めています。

    この大乗仏教で、現世利益の福や徳を授けることができる修行者を「菩薩」といい、他人を救うことは自分を救うことにもなるという考え方が「布施」や「忍辱」という徳目に表れて、これが八正道にはない利他的な修行観を構築しているのです。

    八正道の実践方法とその効果

    八正道の実践方法

    八正道は、煩悩を消滅させて悟りの境地に至るための修行方法です。

    そのため、本格的な修行を行う僧侶だけが取り組むものと思いがちですが、私たちの日常生活の中でも十分に生かすことのできる実践徳目でもあります。

    具体的には、「正見」から実践を始めます。人との関わりの中で、自分中心の見方に偏っていないか、相手の立場に立った判断ができているかなどの点を常に自省するようにしてみます。

    すると、自分の行いの修正点が浮んでくるでしょう。これがそのまま「正思惟」の気づきとなるのです。

    すなわち、自分本位の勝手な怒りや欲張った要求などを、相手に向けていないかどうか、立ち止まって考えられるようになるということです。

    同時に、自分に有利になるような言い方で相手を操ろうとしていないか(「正語」)、自分の欲求を相手に押し付けるような行動をとっていないか(「正業」)、他人を苦しめるような生活態度や仕事のやり方に陥っていないか(「正命」)など、行動面での自制心も生まれるようになってきます。

    このように、行動面が修正できるようになれば、これまでの一連の行いをフィードバックして出発点の「正見」につないでいくことができます。

    これが定着すれば、今後どのように考え方や行動を改めていけばよいかが鮮明になり、そこに向かって努力できるようになるでしょう(「正精進」)。

    このプロセスが積み重なればものの見方も変わってきて、人間関係もシンプルに捉えられるようになります(「正念」)。

    以上が、「正見」から「正念」までの大きなサイクルです。

    ただしここでもう一つ。

    一番大切なのは、せっかく作り上げたこのポジティブサイクルを生活の中にどう定着させるか(「正定」)ということ。このサイクルによって得られた充実感を、確かな自信として実感できるように行動するその方法です。

    仏教では主に座禅を勧めていますが、瞑想やマインドフルネスといった精神統一の方法も「正定」には非常に有効だとされています。

    実践により得られる効果・メリット

    八正道の実践は、人生にポジティブな効果をもたらします。第一に、自分の執着心に気づくようになります。

    これまではうまくいかない原因を外部にばかり求めていたため、成功を阻んでいた要因が自分自身の中にあったことには気づきもしませんでした。それを取り除くことができるようになるのです。

    執着がなくなると、相手への過度な期待が薄れます。イライラがなくなり、ストレスが解消されていきます。精神が安定すると、体に現れていた各種の不調の解消も期待できるようになるでしょう。

    第二に、コミュニケーションが円滑になって人間関係が改善してきます。相手の立場に立ってものを考えられるようになるので、あつれきがなくなるからです。

    第三に、八正道の実践によって体得した行動パターンは、一本の太い自分軸となって定着してくるようになります。

    何かあれば揺らいでいた不確かな自信が確かなものとなり、これまで経験したことのない心の平安を実感できるようになるでしょう。

    四諦八正道についての書籍

    ここでは、四諦八正道について、さらに詳しく理解するために役立つ書籍を2つ紹介します。

    ブッダの獅子吼 原始仏典・法華経の仏教入門

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    数ある仏教関連書籍の中でも、宗旨宗派にこだわらず、ブッダが自ら語った言葉に焦点をあてて、その教えの本義に迫ったのが本書です。

    八正道も含め、仏教を理解するための基本的な理念がわかりやすく解説されているとともに、その教えを私たちの身近な生活シーンにあてはめて具体的に理解できるよう構成が工夫されています。

    著者は、神道や仏教への造詣が深く「祈り方が9割 願いが叶う神社参り入門」のベストセラーなどでも知られる作家、北川達也氏。

    本書は全国学校図書館協議会の選定図書にも選ばれています。

    八正道

    著:ヨグマタ 相川圭子
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    著者の相川圭子氏は、サマディー(瞑想三昧の境地)マスターの1人です。

    サマディーマスターとは、高度5千メートル以上のヒマラヤ高地で荒行と瞑想を究めたヒマラヤ秘教の正当な継承者の称号。インド政府及びヨガの世界的機関が厳しい審査を経て認定するもので、世界でわずか2人しか存在しません。

    その相川氏が、八正道の奥義を解釈して日常での実践方法を説いたのが本書です。

    ブッダを遡ること4・5000年前、その思想にも大きな影響を与えたというヒマラヤ秘教。その視点を活かしながら、八正道一つひとつの教えがわかりやすく、深く掘り下げて解説されています。

    まとめ

    日々の生活の中で、私たちは苦しい出来事に遭遇すると、何とかその苦しみから逃れたいと思います。そうして、旅行であったりグルメであったり、何かそういった気晴らしの中に逃げ道を求めようとします。

    しかし、気持ちが明るくなってもそれは一時的なこと。苦しみの芯のようなものは依然として心の奥にあって、そこから逃れるすべはありません。

    だから逃げるのではなく、苦しみを直視しよう、そして苦しみを乗り越える行いをしようと励ましてくれているのが、この「四諦八正道」の教えなのですね。

    もともと人生とは苦しいもの。苦しいのが当たり前だと認めれば、幸福のかたちも今までとは違って見えてくるのではないでしょうか。

    八正道は、とてもシンプルで合理的です。

    いきなり人生が達観できるということはないでしょうが、毎日少しずつでも意識して実践すれば、薄日が差してくるような気持ちの変化に気づくかもしれません。

    お釈迦様が一番に伝えたかった大切なことを、暮らしの中に取り入れてみてはいかがでしょうか。

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